自分のことを優しいと言ってはいけない?
こんにちは、もっさりドクターです。
今日のもっさりのテーマは、「自分のことを優しい人だと評価するのはいけないのか?」です。
※ここでの「もっさり」とは、「日常生活でのふとした疑問について論理的に思考、分析すること」という意味です。*1
皆さん、もしも初対面の人から「あなたはどういう性格ですか?」と聞かれたら何と答えますか?
「天然ってよく言われます」、「明るく外向的です」など様々な回答がありそうですね。
それでは、もしも「自分はとても優しいです!」と自信満々で答える人がいたら、あなたはその人のことをどう思いますか?
小学生のころの私は、自分のことを優しい人だと答える子供でした。
それを聞いた友人たちは皆口をそろえて、
自分で自分のことを優しいと評価する人間は、本当に優しくはない。
本当に優しい人は無意識に行動しているから、自分のことを優しいとは言わないのだ。
と言うのでした。
それを聞いた当時の私は腑に落ちない気持ちだったのを覚えています。
多くの子供が周囲の大人から「他の人に優しくしなさい。」と教えられて育ったことでしょう。そして実際に人に親切にした子供は、家庭や学校で大人たちに大いに褒められます。
「あなたは優しい子ね。偉いわ!」
「みんな、親切な○○君に大きな拍手をしましょう!」
そのような経験を通して子供は、
他人に親切にすることはいいことで、自分は優しい子なのだ!
もっと優しくなろう!
と思うのです。
私もそう思った子供の一人で、自分は優しい人間なのだと信じて育っていきました。
しかし、ある日の自己紹介で「自分は優しい」と言うことが間違いだと指摘され、「優しい」という評価は他人からされれば受け入れられるが、自分で行うと否定されるのだと気付きました。
では本当に優しい人とはどのような人なのでしょうか?
友人たちの考えに基づくと、
周囲の人から「優しい」と言われるが、自分では自身が優しいとは気付いていない、または気付いていても口に出さない。
という人でしょう。
恐らく実際にいるとしたら後者の場合がほとんどだと思います。
なぜなら先で述べたように、教育では優しいことをした子供は褒められることが多いので、その行為をした時点では本人はそれが親切だと気付かなかったとしても、周囲の人間によって気付かされるのです。したがって前者のような状況はなかなか起こりえないでしょう。
では、後者の「自分は優しい人だと気付いていても、あえて口に出さない」という場合について考えてみましょう。
日本人は謙虚でいることが美徳とされますから、このような態度こそが素晴らしいと評価されるでしょう。私も立派なことだと思います。
しかし自分のことを優しいと認め、口に出した時点で、その人の「優しい」という性質は否定されてしまうのでしょうか?
私は全く関係のないことだと思います。
なぜなら自分は優しいと口に出したところで、それまでの良い行いが消えたり、親切を受けた人が不幸になったりすることはないからです。
さらに言えば、私は自分のことを優しいと思い、口に出すことはどんどん行われるべきだと思います。
なぜなら、それがその人の自己肯定感を高めるからです。
人への親切は時に気付かれず、ただ自分のみが損をしたと感じてしまうことがあります。
そんな時は「自分はこんな親切なことをしたんだよ!」と周囲の人に共有し、褒められることで自分自身を好きになる材料へと変換するべきだと私は思います。
周囲の人もそのことを理解して、お互いを素直に褒め合える環境を作るべきです。
そうすることで、また次も親切にしようと思うことにもつながります。
もっさりのまとめ
自分のことを優しい人間だと評価することは、素晴らしいことだと私は思います。
優しいことをすると周囲の人から感謝されるので、自分が優しいのだと気付くことは自然なことです。
そしてそれを自身のアイデンティティとして表現しても、そのことによって親切な行動が無効になったり、人を不幸にしたりことはなく、自己肯定感を高めることにつながるからです。
皆さんは最近誰かに優しくしていますか?
最後までお読みいただきありがとうございます<(_ _)>
皆さんはどう思いますか?
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